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【社内ラジオ】どこからどこまでが労働時間?考えていたら「仏教の教え」にたどり着いた『リレーション’s あーだこーだ』

【はじめに】
本記事は、2024年10月に発刊した広報誌『生命力経営』のなかの企画として制作した原稿をもとに再編集しています。
本記事では社内のいつもの対話の雰囲気をラジオ風にお届けします。

話者プロフィール


DJナオヤ:始まりました、『リレーション’s あーだこーだ』の時間です!
このコーナーは社内で何か話したいことがありそうな人を連れてきて、その人と徒然にあーだこーだ喋ってみる、そんなコーナーでございます。
第1回のゲストは、いつもひと味変わった話題を振ってくる、Nさんが来てくれています。

ゲストN:よろしくお願いします!

労働時間ってなんなんだ

ゲストN:ナオヤさん聞いてくださいよ。ちょっと前に、社内の労働時間の規定を決め直そうというプロジェクトをやり始めたんですけど、考えれば考えるほど「労働時間」ってなに?っていうのが気になってしまって。

DJナオヤ:あ〜、どこまでが労働時間なのか、とかね。普通はこういう議論をするとき、既に決まった労働時間のコアタイムがあるから、あまり悩むことはないと思うんやけど。

ゲストN:そうなんですよ。でもうちの会社はスーパーフレックスで色々なケースがあるから難しくて。コンサルティングという事業の特性的にも、"何が労働時間か"って区分を付けにくいし。
例えば、移動は労働時間ではないけど、移動中にPC作業をしたら労働時間ですよね。じゃあ移動中に仕事のための読書をしたらそれは労働時間なの?とか。

DJナオヤ:たしかにね。

ゲストN:煮詰まったところでちょうど量子力学とか難しい物理学の話を聞き、「時間っていうのはそもそも存在しないんじゃないか」「労働時間ってそもそもなんなん!?」という話で盛り上がって。
どんどん概念的な話になっていった結果、最後は仏教の「空」の教えにたどり着きました。

DJナオヤ:ちょっとようわからんな。その「空」をもう少し教えてくれる?

ゲストN:例えば「労働時間」は「労働以外の生活の時間」があるからこそ存在するわけで。もし世の中に労働時間という1つの区分しかなければ、それは労働時間としては認識されないみたいな。
そう考えると大昔に農耕で暮らしていた頃は、もしかしたら全部「生活の時間」だったかもしれない。でも今は「労働時間」という概念は広くありますよね。
物事は相対化されて存在していて移ろいゆく、そんなお釈迦様の教えです。

DJナオヤ:なるほど。でもそれとこのプロジェクトに何の関係があるんや(笑)

ゲストN:そもそも世の中に絶対的な、変わらない実態はないってことがすごく腑に落ちたんですよ。

DJナオヤ:ほうほう。

ゲストN:労働時間の規定を今きっちり決めたとしても、組織自体は変わっていくし、認識も変わっていくじゃないですか。だから決めきっちゃうことにあまり意味がないって思ったんです。

DJナオヤ:あーなるほど。

ゲストN:どちらかというと、労働時間についてみんなで語る、つまりこれは労働じゃないか、あれは違うんじゃないかという話をすることのほうが大事だと思ったんですよ。
特にRELATIONSなんか、状況がどんどん変わっていくじゃないですか。なので、決めてもどんどん実態にそぐわなくなっていくなと。だから決めるのは最低限だけにして、それ以外は話し合うっていうほうが実態に合う。

DJナオヤ:あのプロジェクトはそういうことだったのね。ようやく理解できたわ。あることをやった時間があったとしても、文脈によってそれが仕事なのか、そうじゃないのかってやっぱりある。会社の仕事の範疇でやってるのか、自分の意思でボランタリーにやってるのか、どっちとも取れるものがあったりするからね。
それを会社から”こうです”って言われるんじゃなくて、”考える視点を養いましょう”っていうのは、確かに良いね。

物事には前提や意味づけがある

ゲストN:今話していて思ったけど、物事の認識の仕方って人それぞれ。だからこそ、対話して概念を合わせることが必要なんだな。あれと一緒やね、なんやっけ…。

DJナオヤ:社会構成主義の話にも近いね。結局、意味づけが物事を決めるっていう。

ゲストN:そうそう。

DJナオヤ:例えばこのボールペンだって、字を書くものだという意味づけを僕らがしてるから文房具として扱われているけど、時代が違えば、武器として捉えられているかもしれない。

ゲストN:うん。

DJナオヤ:不変の真実というのは実はなくて、周りの人が意味づけすることでそれが成立しているみたいなことは、労働時間の規定にも関連してくるかもしれないね。
何か一方的な情報発信って、その意味づけの余地をなくしてるところがある。本来、発信した側と受け取った側で情報の質は違うし、意味づけにも差があるはずやんか。
その差分を確認したり、多面的に捉える余地とかが必要やと思うけど、会社の情報発信とか、制度の押し付けとかはそれをなくしてしまう感じがあるかもね。

ゲストN:たしかに。そのときの時代背景もそうだし、その地域の特性や会社の歴史によっても、会社や個人の考え方は影響を受けるよね。
お客さんの会社を見ていても、「このエリアではこういう考え方が大事にされているんじゃないか」とか「この企業では創業者のこの言葉が代々受け継がれて、こういう文化なんだな」というのは思う。

DJナオヤ:そうだね。ちょうど先週末、『チ。』って漫画を読んだのよ。まだ天動説が当たり前の世界で、地動説が真実じゃないかということを社会の向かい風にも負けずに追い求めていった人たちの話。あれを読んでいると、前提となっているものにどれだけ影響されているか感じる。もうね、”生まれたときから神様が必ずいて、地球を中心に宇宙が回っているんだよ”って教わっていたらさ、世の中そう見るじゃん。でも、やっぱそうじゃないかもなっていうところに向き合おうとしてきた人たちがいる。

ゲストN:なるほどね。

DJナオヤ:労働時間も結局さ、枠組みは工場の中に人を集めて働いていた時代をベースにしているから。その枠組みで今の働き方を解釈しようとしても多分無理が出るよね。
前提からまずちゃんと疑ってみるっていうのは必要なんだろうね。

労働時間の意味づけも、会社と社員の双方ですり合わせていく

ゲストN:会社の決まりもいずれ古くなりますしね。RELATIONSは創業15年だけど、15年前に決めたことなんか、今通用しないやろな。

DJナオヤ:そうね。でももし「会社が決めたことだから」と時代や実態にそぐわなくなったルールをそのままにしていたら、社員の心は離れていくだろうね。

ゲストN:会社には会社の考え方があるけど、「こういうふうに決めました」と一方的に言われても、それは社員がいて会社が成り立っているという関係性を考えたときに成立しないよね。逆も然りで、社員も会社があって成り立っているけど。

DJナオヤ:うん。互いに複雑に影響しあっている中で生きているよね。余談だけど、クライアントに関わるなかでも「あの人が悪い、あの人が変わらないといけない」って話をよく聞く。でもその人を変わらなくさせているのは自分かもしれないっていう視点も持てると良いよね。その対象が所属部署や会社であってもそう。

ゲストN:とはいえ多くの会社では、ルールって一方的なものになっていそう。

DJナオヤ:そうだね。いろんな社外の会議に参加したりもするけど、ガイドライン決めて渡すみたいな、一方的なことが多い。労働時間の規定についても本当は、ハッキリつかない部分や、解釈の余地があるということを認めて、「あなたたちはどう考えますか」みたいに、ワークショップで扱ったりするのが必要かもしれないね。

ゲストN:うん。たとえ無理やり決めて”こうですよ”ってやったとしても、どう受け取られるかわからないし、長期的に機能しない可能性がある。うちの労働時間の規定も、健康に関わるような大事なところは最低限決めて、あとは対話をしながら考え方を合わせていくのが良いなってあらためて思いました。

DJナオヤ:不変なものはない、この「空」な世の中だからね。勉強になるわ。

ゲストN:私はもっとお釈迦様の教えを伝承できるようにならないといけないなと思ったんで、お寺に通おうかしら(笑)


(執筆:RELATIONS広報 山縣、編集:RELATIONSパートナー 川口 塔子)